最近のお知らせ

3月11日(水)

東日本大震災の発生から9年。あっという間に過ぎました。

回顧の報道番組で語られた「綺麗になった道路と整備された街並みを聖火ランナーが走って復興されたと海外にアピールするだけではダメだと思う」その言葉が心に残っています。

新型コロナウイルスの影響で、マスクが手に入りにくくなり、TVで奪い合いのような光景が映し出される一方、仙台市では各々の医療機関の余剰のマスクを出し合い、不足しているところへ配給したという話を聞きました。これが大きな災害を経験した人々だからできる崇高な行動なのだと感動しました。

震災後、何度か足を運んでいました。それは自分のほうが元気をもらえて、当たりまえだったことを感謝出来るようになってきたからです。「明るくしてくれてありがとう。」「楽しませてもらえてありがとう」あんなに大変な思いをしたのに、「与えてくれてありがとう」と笑顔で言われると恥ずかしくなりました。とかく「○○してくれるのは当然だと思う」と思いがちなのに、「私を幸せにしてくれて、ありがとう。」と澄んだ目で微笑まれて言われたら

返す言葉が見つかりませんでした。

そのありがとうが聞きたくて、何度もでかけたくなったのです。まるで醜い自分を浄化をしに出掛けて行ったようでした。

東日本大震災で、私は言葉の力を知らされました。だから、人のこころを明るくする魔法の言葉を探すようにしなければと思いました。

わが子に対しても考えが変わりました。子どもには子どもの決めてきたストーリーがあって、心配するのではなく、認めてあげれば良いだけだと悟りました。たまたま自分が産み落としただけだから、信じて見守ることが親に唯一出来る仕事、修行なんだと思えるようになりました。

津波に流された方に御経を唱えていたお坊さん方々からも教えを受けました。「肉体が朽ちただけで魂は永遠ですから、死んだら終わりということではないですよ」「自分が死んでいることがわからないから、そのことを教えることもお経の役目です」

私にとっても大きな転換期になった3.11.

多くの霊魂に、合掌。

3月16日 下弦の月

新型コロナウイルス感染拡大予防対策としてイベントや会議、講習会などが続々と中止や延期になりました。残念なことではありましたが、普段当たり前になっていることが本当に自分にとって大切なことだったのか、その時間の使い方はどうなのか、お金の使い方に間違いはなかったかなどを考えるよい時間が出来ました。

出かけないことに慣れてくると、出かけることが新鮮に思えます。久しぶりに運転して

路上で始めて運転したときの、ワクワク感を思い出しました。

ほんのちょっとしたことが、やけに楽しくて「今日も幸せ」だと感じることは、もしかする最高の幸せかもしれません。私がだだおめでたいだけかもしれませんが。

先日友人から「お花見VR」を紹介されました。この場に居ながら、あたかもお花見に出かけているような、どらえもんの「どこでもドア」そのもの。

大学の友人からは「ひとり飲み会」(PCの前でお酒やツマミを用意して仲の良い仲間とたわいない会話をしながら時間を過ごす、いつ抜けてもいつ入っても構わない)にも誘われました。こんな繋がり方があったのか、と感激しました。今の行動制限や物足りなさも見方を変えれば、発明や発見のチャンスかもしれません。アイデアを提供してくれた、見知らぬ方に感謝しました。日本人ってすごい。

この国の医療体制を例に取っても、世界のお手本だと思います。国民皆保険があるから

アメリカみたいにPCR検査しただけで何十万も請求されるなんてことはないし、治療を受けるお金がないから・・・なんてこともない。日本では医師が自ら治療に関わることが当たり前だけれど、海外では指示だけしかしない国も沢山ある。政府の判断や感染症会議の決定に批判的な意見も聞くけれど、その前に私たちはもっと感謝しなければいけないと思います。国外の医療現場の鬼気迫った様子を前面に報道しないで、国内の至る所で、目に見えないところで懸命に感染者を治療している多くの医師や看護師、薬剤師、事務職員、清掃担当者や栄養士、給食係などの従事者、病院の全ての関係者、そしてそのご家族に対して感謝の気持ちを持って報道してほしいと思います。想像もつかないくらい、刻々と変化する情勢を踏まえ、社会全体を考え、多くの議案を決定していかなければならない、あらゆる場所の責任者の皆様にも、光を当ててほしいと思います。何とかワクチンを開発しようと頑張っている世界中の研究者たち、治療薬を模索している研究者や専門医の方々など、私たちは数えきれない方々に守ってもらっていることを自覚して、感染拡大をしないために各自で出来ることを行うべきだと思います。気が緩み始めているこの頃、さくらもほころび始めて、出かけたくなる気持ちとどう戦うか。若い世代に出かけるなって、秋元さんが歌を作って乃木坂にでも歌ってもらうか、ユーチューバーに正式に政府からお願いしてフォロアーに発信してもらうとか、不要不況の外出をしなければ単位上あげるとか、なにか型破りな方法はありませんか。

3月20日 春分の日

幼少期から母方祖母の影響を受けて、父が他界してからは益々、春や秋の彼岸、お盆は大切な節目に感じています。祖母から、「新しい年は、2月3日の節分の日からが始まるもの。春分の日から本格的に動き出すから、豆まきが終わったら、タンスや押し入れの中を片付けて、次にその年の計画をよく考えておいて、春分の日が過ぎてからゆっくり始めなさい。」と言われていました。かなり年をとるまで何も感じないでそのとおり受け取っていましたが「本格的に動き出す」とは「何が本格的?」、「片付ける」とは「ただ要らないものを捨てるだけ?」「その年の計画」とは「いつ、どこで、何の研修会があって、会議があるというそのこと?」「春分の日過ぎ」って「なぜ彼岸の中日?」、せっかちな祖母が「ゆっくり」という言葉を使ったことにも注意を向けられずに過ごしました。全く病まず、前の日まで座って敬老の日のお祝いを受けて、皆に訓示をして次の朝、祖母は104歳で見事な生涯を終えました。父方祖母も、また、最後までしっかりした生き様を見せてくれました。

あんな人生の最後を見せられると、考えさせられます。この世に別れを告げるとき、自分の子どもたちにどのくらい強烈な最後を見せられるかは私のテーマです。そんなことを考えているからか、お墓参りは、私にとってはディズニーランドへ行くような(いや少し大げさか?)ワクワク感があるのです。

3月24日(火)牡羊座 新月

最近県外の自家用車が多いように感じます。用事で富士吉田方面へ出かけましたが、外国人が自転車に乗ったり富士山をバックに写真を取っていたりしている光景がむしろ驚きでした。山梨は感染者がほとんどいないから大丈夫、なんて大きな間違いじゃないですか。

一人の行動が社会を変えてしまうくらい、一人ひとりは大事な存在。一人は皆と繋がっていることを新型コロナウイルスは教えてくれているのかもしれないと私は考えています。

年齢に関係なく自分の好きなこと、楽しみたいことを制限されることは苦しいことです。

しかし、今はどうすれば感染拡大を押さえられるかを真剣に考えませんか?

保育園の送別会とか新採用の食事会とか、普通にやってていいのかしら?

4月1日(水)上弦の月

「最初はグー」からのじゃんけんが、志村けんさんが作ったと知りませんでした。

「手洗えよ。歯を磨いたか。顔洗えよ。」かとちゃんが言ってたよね。

志村けんさん、笑いをありがとうございました。また一つ大事な命の灯が消えました。

報道されたように、山梨大学附属病院で生後8カ月の乳児が新型コロナウイルス感染症と戦っています。がんばれー。そして、濃厚接触者になってしまった小児科医の先生方、心からご無事をお祈りしています。赤ちゃんも先生方もきっと大丈夫だと信じています。

4月4日(土)

今日は二十四節気の清明。清浄明潔。太陽の光が万物を照らし、天地すべてのものが清く明るい季節で、割いている花が何の花かも明らかにという意味なのだそうです。私はこの言葉の響きが大好きです、清明に、菩提寺は祖先の墓参りをして、草むしりをしたりお墓をお掃除する日に決めていています。これは住職が勝手に決めたと聞いていましたが、もしかすると、個人的な都合で勝手に決めたことが、そのまま慣例化した行事や規則が、自分の周りにいくつかあるのかもしれないと思うようになりました。普段なら気忙しくて振り返りもしなかったことが、最近の行動制限で生じた余裕の時間の中で自然と感じるようになりました。なんて考え事をしながら、言われるままに口にした野生の三つ葉のアクの強さに、我に返りました。スーパーで売られている三つ葉が恋しかったです。

お知らせ
アーカイブ
タグ

 

© 2015 隈部小児科医院

 

055-243-0510

Tel